芥川龍之介の散歩道 田端文士芸術家村を訪ねて【あるきたコースチャレンジ】

ページ番号1026366  更新日: 2026年9月8日

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健康アプリ「あるきた」のイベント【あるきたコースチャレンジ】のコースの紹介です。
その他のコースは次のリンクをご覧ください。(あるきたコースチャレンジのページへ)

距離3.8km
所要時間90分

田端一帯には、明治中期までのどかな農村風景が広がっていましたが、上野に東京美術学校(現・東京藝術大学)が開校したことや、田端駅が開業したことで人々が集まりはじめます。やがて田端は、小説家や画家など、さまざまな分野の文化人が暮らし交流する「文士芸術家村」として発展しました。「文士芸術家村」史上最も華やかな大正時代、中心的な存在だった芥川龍之介の旧居跡には、令和9年夏、「北区立芥川龍之介記念館」がオープン。本コースでは、芥川をはじめとする田端ゆかりの文士・芸術家の足跡をたどりながら、田端の名所を巡ります。

コース詳細

1.田端文士村記念館

明治後期から昭和初期にかけて、100名以上の作家や芸術家が集まった「田端文士芸術家村」。その歴史を伝える入館無料の施設です。展覧会や講演会、散策会などの催しを通して、当時の文士芸術家たちの業績や交流の様子などを紹介しています。開館日のみ、受付では田端にゆかりのある「のらくろ」のマンホールカードも配布しています。(休館日はホームページなどでご確認ください)

写真:新庚申塚駅

2.澤田正太郎記念館

画家・澤田正太郎のアトリエ兼住居として使われていた建物を活用し、令和5年に開館した美術館です。正太郎が日本各地を旅して描いた水彩画や油彩画のほか、父で俳優の澤田正二郎、母で女優の渡瀬淳子に関する展示もあります。この場所は、かつて正二郎が旗揚げし、演劇界に新たな風を吹き込んだ劇団「新国劇」の稽古場でもあり、演劇ゆかりの地としても知られています。(入館料・休館日はホームページなどでご確認ください)

写真:滝野川東区民センター

3.サトウハチロー旧居跡

「リンゴの唄」や「ちいさい秋みつけた」などで知られる詩人・小説家のサトウハチローが、大正9年から11年にかけて暮らした場所です。ここには、父・佐藤紅緑の書生であった詩人・福士幸次郎の家があり、10代のハチローが身を寄せていました。福士から詩作の手ほどきを受けたハチローは、田端時代に詩人としての第一歩を踏み出します。

写真:アスカルゴ

4.室生犀星・菊池寛旧居跡

詩人・小説家の室生犀星が大正10年から暮らした場所です。犀星は妊娠中の妻とともにこの地に移り住みます。生涯の趣味となる庭づくりを本格的に始めたのもこの家で、庭石は現在も田端の童橋公園に残されています。大正12年の関東大震災後、犀星一家が故郷・金沢へ一時帰郷すると、この家には芥川の紹介で小説家の菊池寛が住み、雑誌『文藝春秋』の編集所としました。同年11月号は、唯一田端で発行されました。

写真:王子駅

5.八幡坂

坂下の神社が名前の由来となった坂。中腹から「上田端八幡神社」に目を向けると、昭和20年4月13日未明の空襲の跡が残る「戦災樹木」を見る事ができます。近隣には、正岡子規や板谷波山らの墓がある「大龍寺」、田端ゆかりの染色家・柚木沙弥郎の図案が窓ガラス等にあしらわれた「北区立田端中学校」もあります。また、芥川の友人である室生犀星や、2人の弟子で小説家の堀辰雄も周辺に暮らしていました。

写真:栄町ふれあい公園

6.中里第二踏切

山手線内で、唯一残る踏切です。田端駅と駒込駅の間にあり、そのノスタルジックな風景は「みんなでつくる北区景観百選2019」に選ばれるなど、撮影スポットとしても人気があります。

写真:都電おもいで広場

7.田端銀座商店街

地元の人々に長く愛されてきた名店や、新たな店が立ち並ぶ活気ある商店街です。風情溢れる街並みが注目され、メディアにも度々取り上げられています。散策の途中に立ち寄って、ひと息つくのにもぴったり。商店街のオリジナルキャラクター「タバギン」がお迎えしてくれます。

田畑銀座商店街

8.田端区民センター(小杉放庵旧居跡)

画家・小杉放庵が明治41年から暮らした場所です。放庵は制作に励む一方、同じ田端にあった芸術家たちの社交場「ポプラ倶楽部」でテニスを楽しんだり、芥川も参加した文化人の親睦会「道閑会」に出席したりするなど、充実した日々を送りました。センター前の谷田川通りには、かつて「谷田川」が流れていました。現在は暗渠(あんきょ)となったこの川のほとりにも、多くの文士や芸術家が暮らしていました。3階にある田端図書館には「田端文士村コーナー」もあります。

田端区民センター(小杉放庵旧居跡)

9.のらくろマンホール・板谷波山旧居跡

「のらくろ」をデザインしたマンホール蓋。作者の田河水泡は田端に暮らしていた昭和6年、雑誌『少年倶楽部』に「のらくろ」の連載を始め、一躍人気漫画家となりました。田端文士村記念館では、この図柄のマンホールカードを配布しています(開館時間内のみ)。道路を隔てた西側は、陶芸家・板谷波山が工房を構え暮らしていた場所です。多くの作品を田端で制作した波山は、陶芸家として初めて文化勲章を受章しました。

のらくろマンホール・板谷波山旧居跡

10.東覚寺

江戸中期以降広まった七福神詣のうち、最も歴史ある「谷中七福神詣」の福禄寿をお祀りしている寺院。不動堂前の一対の仁王像は「赤紙仁王」と呼ばれ、体の不調がある部位に赤い紙を貼って祈願し、成就した際には草鞋を奉納するならわしがあります。仁王像は、もとは田端八幡神社の参道にありましたが、明治初年の神仏分離に伴い現在の場所へと移されました。

東覚寺

11.上の坂

この坂下にはかつて、多くの田端文士芸術家を診療した「楽天堂医院」がありました。医師の下島勲は芥川の主治医で、その最期を看取った人物でもあります。昭和2年7月24日早朝、芥川の異変を知らされた下島は、雨でぬかるむ坂道を駆け上がって芥川家へ急いだと回想しています。正確な経路は不明ですが、この坂が2人の家を結ぶ最短ルートでした。また、付近には芥川の結婚披露宴にも利用された料亭「天然自笑軒」もありました。

上の坂

12.芥川龍之介旧居跡(北区立芥川龍之介記念館予定地)

大正3年10月、芥川は家族とともに田端に移り住みました。芥川は同5年に発表した「鼻」を夏目漱石に激賞されたことで、一躍文壇の寵児となります。一時期鎌倉などで暮らしましたが、大正8年、本格的に文筆活動に専念するため田端に戻りました。芥川の書斎には彼を慕う多くの人々が集い、数々の名作がここから世に送り出されました。令和9年夏、この場所に「北区立芥川龍之介記念館」が開館する予定です。

芥川龍之介旧居跡

13.童橋公園

公園に入って左手には、室生犀星ゆかりの庭石が残されています。犀星が旧田端523番地(現・北区田端5-5)に暮らしていた頃、実際に庭に置かれていたもので、飛び石14個、景石12個の計26個が、この童橋公園に移設されています。なお、同じ庭にあった「叡山(えいざん)苔」は田端文士村記念館で保存・公開されています。

童橋公園

14.東台橋(田端の切通し)

東台橋から見下ろすと、田端駅前から文京区方面へ向かって、石垣が続く切通しの道路が伸びています。現在のように深く掘り下げられる前は、周囲は一続きの台地でした。橋の上から左右を見比べるとその名残を感じることができます。芥川の没後に完成したため、芥川自身がこの景観を見ることはありませんでしたが、息子たちはこの道路の工事による音や振動が家まで響いてきたことを後に回想しています。

東台橋(田端の切通し)

15.不動坂(JR田端駅南口付近)

学生時代の芥川は、この不動坂から田端駅へ下り、東京帝国大学(現・東京大学)へ通っていました。 当時は階段ではなく今よりも長い急な坂道であったため、芥川は通学に苦労したようです。雨の日は学校が休みたくなると友人にこぼす手紙も残っています。

不動坂(JR田端駅南口付近)

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