第78回人権週間 12月4日~12月10日
私たちは皆、自分の存在と尊厳が守られ、自由に幸せを追い求めることのできる権利「人権」を持っています。
「世界人権宣言」は、基本的人権及び自由を遵守し確保するために、世界のすべての人々と、すべての国々とが達成すべき共通の基準として、1948年(昭和23年)12月10日の第3回国際連合総会において採択されました。
これを記念して、採択日である12月10日は、「人権デー(Human Rights Day)」と定められています。わが国では「人権デー」を最終日とする1週間を「人権週間」とし、世界人権宣言の意義を訴えています。
この機会に、人権について改めて考えてみませんか。
啓発活動重点目標 ~人権啓発キャッチコピー~
毎年、区内の小・中学校では、東京都人権擁護委員連合会と東京法務局と連携し、「人権啓発活動」を行っています。
令和8年度の活動の一部をご紹介します。
人権の花運動
花の種子、球根などを、児童等が協力し合って育てることを通じて、協力、感謝することの大切さを生きた教育として学び、生命の尊さを実感する中で、人権尊重思想を育み情操をより豊かなものにすることを目的に毎年実施している事業です。
令和8年度に参加した3校の取り組みを紹介します。
十条小学校
西浮間小学校
滝野川もみじ小学校
こどもたちの人権メッセージ
人権尊重の重要性、必要性の理解を深め、豊かな人権感覚を身につけられるよう、自分たちの身近にある人権問題について発表する事業が毎年開催されています。
この事業は、「特別区・島しょ人権啓発活動ネットワーク協議会」が実施するもので、特別区(23区)と島しょの小学生4年生から6年生を対象としています。
令和8年度(第33回)の発表会では、北区から3名の発表者が参加しましたので、作品を紹介します。
「ふつう」はない、みんなちがう
浮間小学校 4年 渡部 菜生
みなさんは、「みんなちがって、みんないい」という言葉を知っていますか。この言葉は、金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」という詩の中の言葉です。小学校三年生の国語の授業で出てきますね。私は三年生のときに、この詩を読んで、「みんなちがっていいんだ。」と思いました。私は、か去に、かみがたがショートカットで、「男みたい。」と友達に言われたり、ゲーム機をもっていなくておどろかれたりすることがたくさんありました。その時、「かみがたがショートカットって変なのかな。」「私はゲームじゃなくて、トランプの方が好きなんだけどな。変かな。」とモヤモヤすることがありました。
けれど、今はもう大丈夫。金子みすゞさんの詩を思い出して、個性を大切に、自分しか持っていない好きなことや物に自信をもって日々、楽しくすごしています。ですから、目が見えないなどの障害がある人、病気がある人、他の人とくらべて、自分がちがうと思っている人、気にしなくていいのです。もっと自分に自信をもってすごしてください。もし、自分に自信をもてないという人は、自分のいいところ、自慢できるところを見つけてみてください。それがむずかしいという人は、友だちや家族に教えてもらってください。だれにでもいいところは必ずあるので、きっと自信がもてますよ。
ひとりひとりちがいがあって、その個性をずっと大切にしていける美しい心の世界をみなさんでつくりましょう。
子供が性別関係なく教育を受けられる権利
滝野川第四小学校 5年 阿瀬知 桃子
私は、男女関係なく学校に通えること、教育を受けられることは、とても恵まれていることだと強く思った。なぜかというと、世界には教育を必要としているのに、学校に行くことができなかったり、行くための気もちが無くなってしまったりする子がいることを知ったからだ。また、夢をあきらめなくてはいけない状況に追い込まれたり、結婚を無理やりさせられたりする子供もいた。こんなことは、おかしいと思った。
今、私たちのまわりの中には、学校に通うのが面倒くさいと感じ、「学校なんてなければいいのに。」と思ったことがある人も、いるかもしれない。
だが、考えてみてほしい。ある日突然、学校が本当に無くなり、好きなことや、やりたいことを禁じられて、その代わりに「仕事をしろ。」などと言われる人がいることを。誰だって、嫌な気もちになり、反抗したくなるだろう。また、何も考えられなくなってしまうこともあるかもしれない。先ほど言った子供たちは、教育を受ける権利を奪われており、夢や希望を奪われているということなのだ。
このように、学校に通えるということは、日本では日常のように思っているが、世界レベルで考えると、そうとも言えないことが分かった。今、学校に通えることは、とてもありがたいことなのだ。毎日学校に通って、勉強をし、集団生活を送る中で、きゅうくつで正直面倒くさいと感じる人も少なくないかもしれない。しかし、男女問わず、学校で質の良い教育を受けることができるということは、実はとても恵まれていることなのだということを、感じてみてほしいと私は強くそう思う。
だれもがもっている自由と権利
としま若葉小学校 6年 飯野 太陽
皆さんは人権についてどう思いますか。私は、だれもが生まれながらにもっていて、一人一人の人権が尊重される必要があると思います。
以前私がバスに乗っていた時に、バス停で車いすに乗っている人が待っていました。そのことに気付いたバスの運転手さんがバスの降り口にスロープを設置していました。車いすは、多くのスペースを必要とするので運転手さんが奥へつめるように声をかけていました。その結果多くの人は車いすに乗っている人に協力し、奥へつめましたが、なかなかつめようとしない人がいました。その人は自分がつめないといけない理由に納得がいかない様子でした。運転手さんが何度も説得をした結果やっとその人は奥へつめていきました。その後バスに乗ることができた車いすに乗った人は、なかなかつめようとしなかった人に謝っていました。それを見て私は、車いすに乗った人は謝る必要があったのかを考えました。確かに車いすは多くのスペースを必要とするので他人に迷わくがかかってしまうかもしれませんが車いすに乗っている人もそうでない人と同じように乗る権利があるはずです。そのため、助けが必要な人に配りょすることはその人の人権を尊重することにつながります。
このように一人一人の人権を尊重するために助けが必要な人がいたら積極的に行動していきたいです。
全国中学生人権作文コンテスト
次代を担う中学生が人権問題について作文を書くことによって、人権尊重の重要性、必要性についての理解を深めるとともに豊かな人権感覚を身に付けること、及び入賞作文を国民に周知広報することによって、広く一般に人権尊重思想を根付かせることを目的に実施しています。
令和8年度の北区の代表作品を2作品紹介します。
言葉の見えない傷と、僕が誓った約束
飛鳥中学校 3年 村本 伸宏
「言葉の暴力」によってつけられた心の傷は、体の傷と違って目に見えない。
血が流れるわけでもなければ、包帯を巻いて周囲に痛みを伝えることもできない。
だからこそ、その傷は他人に気づかれにくく、何年が経っても、本人の胸の奥でズキズキと痛み続ける。僕は小学校の頃に経験したいじめを通して、言葉が持つ恐ろしい刃の鋭さと、人間の尊厳、つまり「人権」の重みを身をもって知ることになった。
きっかけは、本当に信じられない出来事だった。それまで一番仲が良く、毎日のように一緒に過ごしていた友達が、突然、僕に関する嘘の噂を周囲に広め始めたのだ。
昨日まで笑顔で話し合っていた仲間が、ある日を境に冷たい目をして僕を遠ざけるようになった。それどころか、クラスの他の人たちも巻き込み、僕を標的にした悪口や無視の輪を広げていった。
最初のうちは、何が起きているのか全く理解できなかった。信じていた友人に裏切られたという圧倒的な絶望感と悲しみは、幼い僕の心を簡単に粉々に砕いた。
昨日までの当たり前の日常が一瞬にして崩れ去り、学校という場所が、いつ牙をむいてくるかわからない恐ろしい空間へと変わってしまった。
そこからの毎日は、地獄のような時間の連続だった。教室に入ると一斉に視線が突き刺さり、クスクスという陰湿な笑い声が聞こえている。すれ違いざまに聞こえる悪口や、存在を否定するような冷たい言葉の数々。それら一つ一つが鋭い針のように、僕の心に深く突き刺さっていった。
言葉の暴力が何よりも恐ろしいのは、言われた人間の自信や自己肯定感を、根底から奪い去ってしまう点にある。毎日毎日、否定的な言葉を浴びさられているうちに、僕は「自分が悪いのではないか」とさえ思い詰めるようになっていった。あのとき感じた孤独感と絶望の痛みは、今でも僕の記憶に鮮明に焼き付いており、一生忘れることはできない。
時が経ち、そのいじめからは解放されたものの、僕の心の中には今もその傷跡が残っている。
しかし、この苦しい経験は、僕の人生において大きな意味を持つ転換点になった。人権について学ぶ機会があったとき、僕はこの経験から気づきを得た。人権とは、難しい法律の言葉ではなく、「誰もが傷つけられることなく、自分らしく幸せに生きるための権利」なのだと知ったのだ。
そう考えたとき、いじめや言葉の暴力は、単なる意地悪という言葉で片づけられるものではない。一人の人間が幸せに生きる権利を、言葉という武器を使って暴力的に奪い取る、重大な人権侵害なのだ。言葉一つで人の心を殺してしまういじめは、どのような理由があろうとも絶対に許されるべきではない。
この辛い経験を経たからこそ、今の僕には強く心に決めていることがある。それは、言葉の重みをきちんと理解し、正しく使える人間になるということだ。言葉は正しく使えば傷ついた人の心を救う特効薬にもなる。そして将来は、人幸せしっかりと守り、支えられる大人になりたい。
今、学校や社会の中には、かつての僕と同じように、理不尽ないじめや言葉の暴力に晒され、苦しんでいる人がたくさんいるはずだ。
僕は、そういう人の痛みが誰よりも分かる人間でありたい。いじめを見て見ぬふりをする「傍観者」には決してならず、苦しんでいる人の心にそっと寄り添い、一番の仲間になってあげられる人になると、僕は心に誓っている。
同じ「人」として
桐ケ丘中学校 2年 西川 季里
最近駅などの街中でユニバーサルデザインを見かけたり、学校の授業で障害を持つ人について学んだりと、前より障害ということについて考える機会が増えたと感じています。しかし実際に障害を持つ人に会うと驚いたり、可哀想と思ったり、自分とは違うと線を引いてしまう人も多いのではないかと思います。私もそう感じてしまうかもしれません。
私が保育園の時、同じクラスに障害を持っている子が二人いました。今思えばあの二人は障害を持っていたと理解できるけれど、当時の私にとって二人は大事なクラスの一員で、障害など関係ありませんでした。それは私がまだ障害ということを理解していなかったからかもしれませんが、先生達が二人がみんなと同じように保育園生活を楽しめるように様々な工夫をしてくれていたからだと思っています。例えば足の不自由な子が移動しやすいように、三輪車をカスタマイズしたり、運動会では走るかわりにバドンを持ってくる役目を用意したりと当時の私は気づけていなかったけれど数えきれないほどの工夫がありました。先生達は二人をサポートしながらも、過度な特別扱いはしていませんでした。だから私は自分と比べて線を引かずに同じ人として二人と関われていたのではないかと感じています。
最近ではお店などで「障害者だから」と正当な理由なくサービスの提供を拒まれたり、障害への無理解からいじめや虐待につながったりと様々な問題があります。前に障害者差別解消法というものが施行されましたが、改善されていないと思う人も多いようです。日本ではまだ障害を持つ人への差別や偏見が残っている状況です。しかし、保育園のとき同じクラスだった子達は二人に差別などはしていませんでした。今の社会に必要なのは、先生達もしていたような障害を持つ人に対してサポートするけれど特別視しすぎないということではないでしょうか。「障害を持っているから」と特別視しすぎると、「私は障害を持っている人とは違う」と思う人が増えて、差別や偏見はより強くなってしまうと思います。
世界には約八十三億の人がいます。自分と違うものを持っている人がほとんどです。違うものは考え方だったり、外見だったり様々ですが、それはその人の個性だと思います。障害者の方はその個性が障害に分類されただけで、障害を持つ人は特別ではありません。みんなと同じ「人」です。同じ人として立場は同じで平等であるべきだと私は思います。
私は小学生で障害について習ったとき、障害者の人には優しく助けてあげればいいんだと思っていました。でも今では、障害を持つ人だから助けるのではなく、困っている人がいるから助けるという考えが大切なんだと思います。そして、障害を持つ人をどう助けるかよりも、障害を持つ人とどう関わっていくか考えるのが大事だと思います。
私は障害を持つ人と自分は違うという理由で線を引くのではなく、違うからこそ向き合っていきたいと思います。そしてたくさんの人がこの問題と障害を持つ人への向き合い方について考えれば、全ての人が生きやすい社会に少しずつなっていくと思います。きっとなります。障害を持つ人は特別じゃない。みんなと同じ「人」だから。
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