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「第61回浮間さくら草祭り」はじまる

2025年4月17日(木曜日)

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4月16日に撮影した圃場の様子の写真
圃場の様子(4月16日撮影)

4月11日(金曜日)から、浮間ヶ原桜草圃場(ほじょう)(浮間2-30都立浮間公園内)で「浮間さくら草祭り」がはじまり、見頃を迎えている。
期間中のみ同圃場が開放され、赤紫や純白の桜草が、用水路に囲まれた圃場(約1600平方メートル)一面に広がり、訪れた人々は、間近に広がる色鮮やかな桜草を写真におさめたり、ゆっくりと景色を楽しんだりと、思い思いの時間を過ごすことができる。午前10時から午後3時(最終日は午後2時まで)。入場無料。21日(月曜日)まで。


概要

浮間ヶ原桜草圃場(約1600平方メートル)には、昭和初期にこの地域に群生していた、ピンクの「浮間ヶ原」をはじめ、純白の「浮間(うきま)白(しろ)」、赤紫色の「浮間(うきま)五台(ごだい)紅(こう)」などが植えられており、様々な色や形をした桜草を楽しむことができる。

この浮間ヶ原の桜草が全国的に知られるようになったのは、江戸時代初期まで遡る。徳川家康は江戸に居城を構えてから、しばしば浮間ヶ原に鷹狩りに出ていた。その折り、雑草の中に混じってひっそりと咲いている桜草の可憐さに心をひかれ、持ち帰って観賞したのが始まりであると言われている。その後、各大名や旗本が競って栽培を始め、やがて町民の間に広まった。

浮間では、荒川土手の改修などにより桜草が一時激減したが、庭先の桜草を持ち寄った地元の人々が浮間ヶ原桜草保存会(*)を結成。その後、心のこもった栽培作業を続けた努力もあったおかげで、「浮間さくら草祭り」開催期間中にはたくさんの桜草を間近に鑑賞することができる。2025年で61回目となる。

場内には保存会のメンバーらが育成した桜草の鉢植えも展示されており、圃場に隣接する氷川神社では桜草の鉢植えが販売されている。また、圃場内には浮間小学校と西浮間小学校の児童たちが栽培した桜草も展示されている。

開催期間中は北区観光ライブカメラでさくら草の開花状況をリアルタイムで配信している。

*浮間ヶ原桜草保存会

昭和30年、絶滅の危機に瀕していた桜草を救おうと、地元の農家の人たちが旧家に残されていた桜草の栽培に着手した。試行錯誤の末、37年に栽培に成功。同8月に「浮間桜草保存会」が結成された。39年には、圃場が一般公開され、翌40年から「浮間さくら草祭り」が始まった。現在は「浮間ヶ原桜草保存会」と名称を変更している。

桜草

桜草プリムラの仲間である。プリムラは、主に北半球の温帯・寒帯や高地に約200種があるとされ、日本には14種が自生している。その代表種が桜草である。学名をプリムラ・シーボルディといい、日本から中国東北部にかけて自生する小さな多年草でわが国では四国と沖縄を除いて、各地に分布している。

浮間ヶ原の桜草

 桜草は、今では一般に鉢植えとして楽しまれているが、かつては日本各地に自生しており、関東では、荒川下流域の湿地帯に多く群生していた。当時の浮間ヶ原は桜草が群落をつくり、四月ともなれば一斉に花が咲きそろい、花見客が荒川をさかのぼり、茶店も立ち並んで、桜の名所飛鳥山とともに大いに賑わったものと言われている。この情景は、昭和の初期まで続いたが、荒川の改修、築堤工事により荒川の本流が大きく変えられ、桜草の繁殖と生育に必要な荒川の氾濫はなくなってしまった。そのため、桜草は徐々に減少していき、地元の愛好家たちの庭先で保存させる程度になった。そして、昭和37年8月には地元の人々が庭先の桜草を持ち寄って、浮間桜草保存会を結成した。その後、会員の心のこもった栽培作業によって、圃場内に当時の浮間ヶ原の面影がよみがえってきた。

4月16日撮影の桜草の写真
桜草(4月16日撮影)

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