【赤羽】名所江戸百景 川口のわたし善光寺

ページ番号1011001  更新日: 2025年2月20日

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写真:名所江戸百景 川口のわたし善光寺
大判竪 歌川広重 安政4年(1857)

「川口の渡し」は「岩淵の渡し」とも呼ばれ、岩淵と川口の間、約60間を行き来していました。本作品では、画面上部に川口善光寺、画面下部には北区側の渡船場付近が俯瞰図法で描かれ、川口から渡ってくる船を待つ人の姿も見られます。
また、上流からは木材運搬の筏が何隻も連なり、かつての隅田川(旧荒川)が人や物が頻繁に行き交う重要な交通路であったことが伝わります。

渡船から橋へ

 岩淵の渡船場は、現在の新荒川大橋のたもとから、わずかに上流寄りにありました。明治38年(1905)には渡船に替わって、舟を連ねた上に板を渡した「船橋」が架けられましたが、交通量の増加にともない昭和3年(1928)には新荒川大橋が架橋されました。

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